11 May 2013
母の日にちなんでこの記事を贈ります。
この映画を観たのは、ちょうど1年前になります。小説が映画化されてすぐ映画館で観ました。
ボロッボロに泣いて、それからもう1回観て やっぱりまた泣きました。
私が観た映画の中でも強く心に残る映画です。
昭和の文豪・井上靖の自伝的小説「 わが母の記」。
夫婦の間でも意見が合わなかったり、生活習慣の違いや家同士のことで、
なにかと揉めたりしますが、親子でさえ長い間スレ違ってしまうことがあります。
けど、たいがい親の方が深い愛を注いでくれてんのに、子供は気づかないもんで・・
この映画を観て、こみ上げてくるものがあったのは、
親に対して、何か申し訳ないような気持ちがあったからかもしれへん。
次に観てもきっと泣きます。
周りの人も皆泣いていました。人によっては琴線に触れる作品です。
簡単にあらすじを紹介しますと
この物語の主人公:伊上洪作(役所広司)は、売れっ子の小説家で妻と娘が3人の裕福な家庭です。
父が亡くなったのをきっかけに、痴呆の症状が出始めた母の世話をするようになるのですが、
洪作は子供の頃、母と離されて育てられたことから、自分は「母に捨てられたんだ」
という想いを抱きながら生きていました。最初はどこか余所余所しいです。
ですがストーリーが進むにつれ、母とかかわっていくうち、洪作の表情がだんだん優しくなってゆきます。
痴呆が進み、目の前にいる自分の息子のことさえも、認識されなくなった母。
洪作の育ての親でもある”おぬい”の法要の席で「おぬいに息子を奪われた」と口走る母に、
洪作はついに「あなたは息子さんを郷里に置き去りにしたんですよね?」と問い詰めます。
しかし、母の口から飛び出したのは、洪作が母と離れる時に書いた作文でした。
母は暗記し、肌身離さず持っていたのです。
その作文を読む母を見て、たまらず嗚咽する洪作。今まで母に抱いていた想いが吹き飛んだ瞬間でした。
このシーンが一番の見せ場なんですが、ここでなぜ皆が涙するのか?というと
ことの大小はあっても、似たような経験があったからやと思いました。
私も長い間、母に対して抱いていたある種の感情がありました。
ですが、私も歳をとり、子供を育て親が背負ってきたものを 自分がモロに感じる歳になりました。
無意識のうちに、昔母に言われた言葉をそのまま 自分の娘に言ってたりする時など
ハッと我に返ります。
「あの頃もきっと親って大変やなかったかな・・オカンも子供にムカついとったんやろなあ」
今更思い知ることも多くなりました。親って大変やん。。
離婚した後も、黙って、なにかと力を貸してくれたのも やっぱり母で・・大きな愛情を感じたりしました。
見返りを期待しない、無償の愛を感じたと同時に なんと自分は小さく、情けない大人なのか・・
ということを思い知らされてしまいました。
結局いつまでたっても母には頭が上がりません・・。それは認めることにしました。
そしたら、気持ちがなんか楽になったんですね^ ^。
やっぱり 死ぬまで親にはかなわない。親の与えてくれた愛は大きすぎます。
その父と母も会うたび 小さくなっていく。
あの大阪パワー全開やった母がこんな小さい人やったかな?と思うほど小さく感じる。
だんだん何故か 寂しくなるのですね・・。
この類の映画は、母と観ることが多いので 「わが母の記、ええで一緒に観よ!」って誘いましたが
「あ、それは遠慮しとく」と言われました。母も自分の母に対してなにかあるんやと思います。
あといくつ 一緒に映画を観られるかな。もうちょっとだけ傍におってな。
ママはひとりじゃないねんで^ ^
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コメント
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コメント (2)
のり子さん、こんばんは。
ほんとに母は偉大だなぁと思います。
10代の頃、あんなに反発を感じていたのが嘘のよう。
だからこそ、自分が子育てに迷ったら
ネットより育児書より母親に聞いてみる私がいます。
母の日は何もできない代わりに、
サプライズで宝塚のチケットをゲットしようかな^^
Nicoさん こんばんは。
そうですね。母はエライです。
>だからこそ、自分が子育てに迷ったら
>ネットより育児書より母親に聞いてみる私がいます。
まったく、おっしゃる通りです^ ^
おお!宝塚!なるほどそれは素敵なプレゼントですね。
二人で行って楽しんで来てください。
うちは、花より団子で「お弁当(買った)」にしました(笑