ブログで自由を手に入れたシングルマザーのり子の在宅ネット生活

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腹心の友にふたたび亀裂が

「心配ご無用よ。わたくしを誰だと思っているの?」
「華族の身分も、なにもかも捨てて、駆け落ちした宮本蓮子よ」
「わたくしは時代の波に平伏したりしない。」

「あなたのように卑怯な生き方はしたくないの」

「そう・・わかったわ」
「私たち 生きる道が違ってしまったわね・・。これまでの友情には感謝します」
「ええ・・さようなら」
「お元気で」

二人の道は、もう交わることはないのでしょうか?

アンのゆりかご
アンのゆりかご―村岡花子の生涯 (新潮文庫)

 

 

蓮子様、そこまで言わんでもええやん(;´Д`)

この二人の諍いってフィクションですよね?

 

「私ひとりが抵抗したところで世の中の流れを止めることなんか出来ないわ」

花子のいうことは最もですね。大多数がこの意見になるでしょう。

でも、連様の言うことも納得はできまする。

いやですねえ。『ごちそうさん』の時もそうでしたけど、ここからどんどん重くて暗い時代へ突入していきます。

蓮子さんの家族もかなり危ないですが、敵国の本を翻訳している花子の身も安全ではありませんでした。

 

「国賊!」という叫び声とともに、石を投げつけられたこともあり、みどりが(美里)けがをしそうになったそうです。

学校でも洋書は全て焼き払われていた時代です。花子は防空壕や庭に埋め必死に洋書を守りました。

耐えて新しい時代が来るのをじっと待つのが、賢い生き方なんでしょうが、それが卑怯だと親友から言われてしまうと、キツイです。

 

昭和16年の太平洋戦争開戦と同時に花子はラジオ「子供新聞」を辞めます。
なんとしても家族を守らなければ!娘のみどりはまだ9つ、そして何より心配だったのは数年前から心臓が弱っていた夫・敬三のことでした。

英二さんはいたって健康に見えますが、実際は心臓が悪かったんですよ。

 

そしてついに

『Anne of Gables アン オブ・グリン・ゲイブルズ』の原書が花子の手に

「私たちの友情の記念に」ドラマではスコット先生から赤毛のアンの原書を手渡されるようですね。、

『アン オブ・グリン・ゲイブルズ』に登場するやせっぽっちで、そばかすだらけ、にんじんのような赤い髪をした少女アンを取り巻く世界は、まさに花子が過ごした女学校、きらきらした青春時代そのものだったのです。この時代に『アン オブ・グリン・ゲイブルズ』を翻訳できるのは花子しかいなかったのですね。

 

原書を受け取ってからは ひた隠しにして翻訳を続けています。
花子は戦争がはげしくなっても疎開はぜず、洋書を手放しませんでした。灯火管制直下の元で、スタンドに黒い布をかぶせた薄暗い部屋で必死に訳し続けるのでした。

「いつかまたきっと、平和が訪れます。その時、この本をあなたの手で、日本の子供たちに紹介してください。」

 

敵国の子供たちに向けて、こういうことが言えるって素晴らしいですね。日本はもう負けてるってことです^ ^;

日本の軍の一部関係者も、同じように、
“太平洋戦争の占領地である上海やマニラで風と共に去りぬ等と共に押収されたこの映画を見た軍関係者や映画制作関係者は「こんな映画を作る国には勝てない」と衝撃を受けた”~ウィキペディアより~

という話は有名です。

 

当の花子も、大戦中に「アメリカの婦人雑誌」を見る機会があり、大変踊驚いたそうです。その雑誌の中には、色鮮やかなファッションに身を包み、美味しそうなお料理に囲まれた豊かな生活がありました。
戦争中にも関わらず、アメリカの人々は生活を謳歌していたのですから驚くのも当然ですよね。

 

しかし、そのすべてのページには

“「Remember the Pearl Harbor!」真珠湾攻撃を忘れるな”と印刷されていたのです。

うらやましいと思うと同時に、恐ろしさも思い知ったと言います。

 

花子と蓮子の家族はどうなっていくのかな・・

ごきげんよう さようなら

 

脚色のない本当の村岡花子の人生をこの本で知りました。卑怯なんかではない自分の信念と愛を貫いた女性でした。

↓おすすめします^ ^

アンのゆりかご―村岡花子の生涯 (新潮文庫)

 

 

今日も読んでくれて ありがとう^ ^
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